くるま座資料集
くるま座の資料集です。ぜひご覧ください。
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[54] 山科農園 薩摩芋畑 投稿者:くるま座管理人 投稿日:2013/10/17(Thu)  

10月19日、いよいよ収穫です


[53] 山科農園 投稿者:くるま座管理人 投稿日:2013/10/17(Thu)  

福島とつながりたい、さまざまな人とつながりたい、「市民の政策研究会」がなれない畑仕事をする理由です。ぜひ、お手伝いを!


[52] 上原さんチラシ 裏面 投稿者:くるま座管理人 投稿日:2013/09/13(Fri)  

Download:52.pdf 52.pdf 上原さんのチラシの裏面です


[51] 上原さん 投稿者:くるま座管理人 投稿日:2013/09/13(Fri)  

Download:51.pdf 51.pdf 上原さんのチラシの表面です


[50] 揖斐川がつなぐ地域と世界 投稿者:くるま座管理人 投稿日:2013/09/10(Tue)  

Download:50.pdf 50.pdf 当日のバスの中でのレジュメです


[49] 循環型社会の再構築 揖斐川流域の隠豊社会化 投稿者:くるま座管理人 投稿日:2013/09/10(Tue)  

Download:49.pdf 49.pdf 泉京 垂井のレジュメです。


[48] 第二回 鴨野幸雄「地方政府を考える」連続講座 投稿者:くるま座管理人 投稿日:2013/04/29(Mon)  

Download:48.pdf 48.pdf 地方政府を考える連続講座 第2回

当日配布されたレジュメです。



[47] 韓国禮山郡平和友好訪問団のご案内 投稿者:くるま座管理人 投稿日:2013/03/20(Wed)  

Download:47.doc 47.doc 韓国禮山郡平和友好訪問団のご案内
ー尹奉吉義士顕揚第40回祭享・文化祭参列ー

 1932年4月29日、当時の天長節の上海に於いて、韓国では日本植民地支配からの独立闘争の英雄と尊敬される尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が、戦勝祝賀式壇上の日本侵略軍首脳に向かって爆弾を投擲しました。近代史に残る「上海爆弾事件」です。大陸侵略の中心部隊として名を馳せた金沢の第9師団が義士を捉え、処刑後秘密裏に野田山陸軍墓地崖下に暗葬しました。
1945年日本敗戦後、遺体は発掘され、1992年12月19日(義士命日)、朴仁祚初代月進会会長主導の下、生地禮山郡月進会から揮亳を得て、暗葬の跡碑が設置されました。資金は、在日市民と日本人市民有志の募金によって支えられました。今日史跡の保存活動は、月進会日本支部が継承しています。
 この近代の不幸な歴史を留める野田山の暗葬跡地を機縁として、私たちは、4月29日義挙記念日に執り行われる祭享(さいきょう)に参列することをはじめ、生地禮山郡月進会との間で活発な民間交流を展開してきました。2005年には、郡守と市長、市議会議長と郡議会議長の相互訪問が実現しました。また、禮山郡に本拠を置く李光壽率いる民族音楽院の金沢への来演により、韓国伝統の音楽芸術が多くの市民に感動を持って迎えられてきました。
 「義挙」80周年に当たる昨年は、第39回祭享に訪問団を編成するとともに、6月の月進会市祭来訪の折には、東北アジア平和連帯金沢シンポジュウムを開催し、相互信頼の醸成を基礎に、交流から連帯へと新たなステップを踏み出しました。金沢・禮山の交流史をさらに前進させるため、本年も、下記の日程で禮山郡平和友好訪問を企画します。是非お誘い合わせの上、振るってご参加下さいますようご案内を申し上げます。

 ◆ 出発 2013年4月26日(金)  富山空港   12:00発 
                     仁川国際空港 14:10着
◆ 帰国      4月30日(火)  仁川国際空港  9:25発
                     富山空港   11:00着 (4泊5日)
 ◆ 参加費 80000円(航空運賃、団費、韓国内滞在、行動費等含む 参考2012 9万円)
主な日程 禮山郡 祭享参列、文化祭典参加(現時点では詳細日程不詳)
 ソウル市内尹奉吉義士墓所墓参、歴史的旧跡等観光、植民地支配跡地訪問、    独立記念館参観等を検討します。
 日程の詳細、宿泊地などは、追ってお知らせする訪問団結団会にて確認します  
〔参加申込み〕
   別紙参加申込み用紙に記載の上、FAXまたは郵送にて申し込んで下さい。
   参加費振り込み口座 北國銀行金沢市役所支店(普)258335尹奉吉義士共の会
参加申し込み締め切り 3月22日(金) 早めの申し込みにご協力下さい。 参加費納入締め切り 4月 8日(月)



  2013年3月11日
                               尹奉吉義士共の会
                                 会 長 田村 光彰
月進会日本支部
                                 支部長 朴  賢沢



[46] 鴨野論文-地方政府の憲法理論 投稿者:くるま座管理人 投稿日:2012/08/26(Sun)  

Download:46.pdf 46.pdf  先日、「くるま座」も手伝った、佐藤栄佐久さんの講演会で、佐藤さんは、「自分が逮捕されるのは、道州制に強固に反対したからかと一瞬思った」と述懐していた。

 地方自治の問題は、「くるま座」の原点であり、住民、市民は、自由に自分たちの共同体を創り上げることができるし、しなくてはならない、というのが出発点である。
 
 日本国憲法で保障された、地方自治体の統治権のありかを、鴨野さんの講演会を通じて、自治権の在り方を考えてみたいものです。

 



[45] 小木曽美和子さんを偲んで 海渡雄一 投稿者:くるま座管理人 投稿日:2012/06/25(Mon)  

海渡です。
悲しいお知らせです。

小木曽美和子さんを偲んで
 もんじゅ訴訟原告団事務局長であった小木曽美和子さんが亡くなられました。
76歳だったそうです。
 小木曽さんはもともと新聞記者をされていましたが、労働運動を経て福井県評
で働かれるようになり、1976年の原発反対福井県民会議の設立から活動に参
加されました。私が最初に記憶に残っているのは、1982年5月の『反核・平
和のための東京行動』のとき、福井県評青年部の「もんじゅ公開ヒアリング阻止」
を訴える特大の旗の前で必死に訴えられていた凛々しい姿です。小木曽さんは小
柄でしたが、演説は本当に迫力があり、美しかったです。
 もんじゅの原子力安全委員会公開ヒアリングは、この年の7月に敦賀市文化セ
ンターで開かれました。全国から集まったデモ隊の数は一万人を超えたといいま
す。昨年12月のもんじゅ現地集会に参加した帰りに、声をかけてくださった参
加者も、この闘争に加わっていたと話されていました。公開ヒアリングの阻止闘
争は、今も参加者の胸に生き続けていたことを確認できました。
 私たちが訴訟の依頼を受けたのは1984年の秋のことでした。裁判が200
5年に終わってから、小木曽さんに、この訴訟の提起についてはいつ頃話が始まっ
たのかを聞いてみたことがあります。もんじゅ訴訟は1984年の夏の原水禁大
会で、小木曽氏と高木仁三郎氏の会話から始まったようです。私は、当時弁護士
歴わずか3年目の新米弁護士でした。当時原子力資料情報室の代表をされていた
高木仁三郎先生から、「もんじゅの訴訟をやることになったから、弁護士を集め
てくれ」と依頼されました。知り合いの東京の弁護士達に連絡を取りながら、こ
の年の秋に弁護団長になって頂いた福井県弁護士会の福井泰郎弁護士と日弁連人
権大会の会場でお会いしました。このときから小木曽さんは訴訟準備の中心でし
た。弁護団を福井と東京の二元構成にしたもんじゅ訴訟弁護団の結成と、もんじゅ
訴訟の提起が住民団体で正式に確認されたのは、1984年10月のことです。
 訴訟の依頼を受けて、この新しいタイプの原子炉の持つ危険性の調査と合わせ
て、最初に頭を悩ませたことは、どのような類型の訴訟でもんじゅの安全性を問
う裁判を提起するかでした。依頼の時点で、すでに取消訴訟の提起期間は経過し
ており、行政訴訟としては無効確認訴訟しか提起できない状態だったのです。提
訴前、原発訴訟の主流は伊方原発、東海原発などの取消訴訟であり、取消訴訟の
期間が経過してしまっていた女川原発事件については民事差止訴訟が提起されて
いました。我々は、この全く新しいタイプの原発については、民事差止の訴訟だ
けでは不十分であり、国の行った安全審査の適否についてについて議論できる場
が必要だと考え、激論の末、原発設置許可の無効確認請求と民事差止請求の訴訟
を併合して提起することとしました。追加した行政訴訟で後に勝訴できたのです
から、この討論の過程が如何に大切なものだったかがわかっていただけると思い
ます。
 また、小木曽さんは、当初から原告団については超党派的なひろがりを大切に
されていました。この運動センスの良さも、この活動が長続きし、成功する大き
な要素だったと思います。
 プルトニウムを燃料とする高速増殖炉という国策の中心に位置づけられていた
原子炉に闘いを挑むにあたって、提訴直前の集会では、小木曽さんは「事故の危
険性は国の将来を左右する。15年は覚悟し、長期裁判を闘い抜こう。」と悲壮
な覚悟を呼びかけられました。1985年4月25日の第1回口頭弁論で原告団
代表の磯辺甚三氏は「科学よ、おごるなかれ」と叫び、小木曽さんは原発集中立
地県である福井県にもんじゅを設置することの危険性を訴えられました。そして、
その翌日にチェルノブイリ事故が世界を襲ったのです。
 もんじゅ訴訟は原発反対福井県民会議の活動と連携して進められました。小木
曽さんは原告団と県民会議の双方の活動の支柱でした。福井県内の他の原発の事
故と安全問題にも取り組みながら、もんじゅ訴訟を進めていく仕事は、大変なハー
ドワークだったことと思います。しかし、小木曽さんはいつも静かな闘志を内に
秘めて、あらゆる仕事を的確に遂行されていました。多様なメンバーで構成され
た原告団がバラバラにならずに最後までこの訴訟を闘い抜くことができたのも、
小木曽さんがいたからこそ可能だったことです。
 後に勝訴に至った行政事件は、1987年にいったんは却下されたものでした
。これを高裁、最高裁で覆し、ようやく1992年から実体審理にはいることが
できたのです。1995年12月にはナトリウム漏洩事故が発生し、事故原因の
究明の過程でナトリウム溶融塩反応の見落としという重大問題が浮かび上がりま
した。久米三四郎先生に代表となっていただき、事故調査検討委員会を組織した
ことも小木曽さんの大きな功績です。2000年福井地裁判決は全面敗訴でした
が、敗訴の悔しさを胸に懸命に取り組んだ名古屋高裁金沢支部で全面勝訴判決を
得ることができました。幾度となく、原告団と弁護団と科学者たちとの会議と合
宿を重ねました。福井市内の宝永旅館がこの会議の定宿でした。小木曽さんはこ
のような会議の組織者であり、司会者であり、そして闘いの方向性を示す指導者
でもありました。
 長い裁判の中で、心の底から喜ぶことのできたのは、2003年1月27日の
川崎和夫裁判長による勝訴判決の時でしたね。「原判決を取り消す。高速増殖炉
「もんじゅ」に係わる原子炉設置許可処分は、無効であることを確認する。」名
古屋高裁金沢支部の大法廷に川崎和夫裁判長の声が力強く響き渡りました。原告
席と傍聴席は総立ちになり、判決結果報告係の吉川健司弁護士は「完全勝訴」の
垂れ幕をひったくるようにして法廷から飛び出していきます。提訴から17年に
して、遂に勝ち取った原告完全勝訴判決でした。小木曽さんの胸にも熱い記憶と
して残っていたものと思います。
 この判決は2005年5月最高裁によって覆されましたが、福島原発事故の後
には、この川崎判決と最高裁判決のどちらが正しい判決であったかは、誰の目に
も明らかになったと言えるでしょう。もんじゅ訴訟は小木曽さんの予測を超え、
20年を超える期間がかかってしまいました。そして今も、もんじゅは運転を再
開できないままです。
 もんじゅは1995年に数ヶ月試運転しただけで、発電実績は、原子力研究機構に
よると1億200万キロワット時であり、「もんじゅ」の設計出力は28万キロワット
ですから、フル出力運転の15日分程度に過ぎません。2009年度までに要した建設
費と維持管理費、燃料費は1兆3300億円に達しています。文部科学省は2012度も
215億円の予算要求をしましたが、24日閣議決定した2012年度予算案で、高速増
殖炉「もんじゅ」(敦賀市)に175億円を計上しました。11年度当初予算(216億
円)に比べ19.0%減。東京電力福島第1原発事故を受け、新たな研究開発は凍結
されています。もんじゅはほとんど運転していないが、既に原子炉は劣化し老朽
化しています。もんじゅの設計・建設に関わったほとんどの技術者が退職し、動
燃はもんじゅ事故後の1998年に核燃料サイクル開発機構として改組された後、
2005年10月には日本原子力研究所と統合され、独立行政法人・日本原子力研究開
発機構に再編されました。
 もんじゅ訴訟で提起されたもんじゅの危険性は、福島原発事故によって耐震設
計の脆弱性、核暴走の危険性、冷却の困難性という問題を貫いて深刻さを増して
います。関西地方の水瓶である琵琶湖汚染をもたらす破局的な事故の前に瀕死の
もんじゅにとどめを刺し、福井県全体の原発の廃止を進めていかなければなりま
せん。
 2011年12月のもんじゅ事故16周年の現地集会には、佐藤栄佐久福井県
元知事、小林圭二さんとともに私も記念講演に呼ばれ、出席することができまし
た。集会では、小木曽さんは病身を押して登壇され、福島原発事故を踏まえて、
もんじゅの廃炉と脱原発の必要性を力強く訴えられました。集会の後に敦賀市内
の寿司屋で久しぶりにお食事をともにしたのが最後となってしまいました。
 なによりも小木曽さんの望んだもんじゅ廃炉の日を迎えることなく小木曽さん
を送らなければならないことは本当に辛いことです。
 小木曽さん、どうか天国から私たちを見守ってください。私たちは、いま「脱
原発弁護団全国連絡会」を立ち上げ、全国でもう一度原発を止めるための訴訟を
提起しようとしています。もんじゅを廃炉にし、再稼働を阻止し、すべての原発
を廃止するまで、闘いを続けることをお誓いして、お別れの言葉とします。合掌。

     2012年6月24日
                  海渡 雄一(元もんじゅ訴訟弁護団)



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