
くるま座は、皆が平たい場所に座り、お互いが向き合って語り合うところ。ここでは、上も下もなく、お金があろうがなかろうが、名をなしていようがなかろうが、地位があろうとなかろうと、ただひとつ、市民が主人公の世の中を求めるという志一点で集まるところ。
想えば長いこと、市民は政治の観客の位置に置かれてきた。劇場は真実を隠し、都合良く世の中を見せてきた。だから、ここでは真実を一緒に学ぶ。劇場は観客にとっては依存と受け身の場だった。だから、ここでは自らが論じ、皆で論じ合う。劇場は、他人に関心を抱かせないバラバラにされた場だった。だから、ここでは互いにつながり合い、働きかけ合う。
そうして生まれるはずの私たちの力が、自治の力の源にちがいない。そこから私たちは「もうひとつの社会」のあり方を構想し、足元の地域から具体的に行動したい。名付けて「市民の政策研究会」。その拠点がくるま座ということになる。来たれくるま座へ。くるま座は発信する。
■ 意見陳述書 上原公子 ■
平成23年(ワ)第40981号
原 告 国立市
被 告 上原公子
意見陳述書
2012年3月8日
東京地方裁判所民事第2部 御中
上原 公子
この裁判は、上原個人の裁判ではないと思っています。
国立市民の景観保護の運動は、最高裁判所の「景観利益は法的保護に値する」という新しい判断を引き出し、国立市民の運動が引き金となって、「景観法」が制定されるという、まさに「地方主権」といわれる時代にふさわしい市民自治によるまちづくりのモデルケースと称され、全国の注目を浴びていました。
その国立の事例について、この裁判で上原個人への求償が認められるとなりますと、その影響はあまりに大きく、自治体首長を萎縮させ、住民自治の本旨に従い市民自治をすすめる首長の存在は困難になります。ですから、この裁判は、まさに地方主権時代の首長のあり方を問う裁判になっています。
国立市の美しい景観は一夜にして出来たものではありません。
国立は大正末期に学園都市として開発されて以来、80年にわたり市民の大変な努力で環境保護を主眼としたまちづくりをしてきました。1952年に市民発意で文教地区指定を受け、1969年にはまさしく明和マンションの目前に位置する歩道橋を巡り、日本で初めての「環境権裁判」を起こすなど数々の運動の歴史を経て美しい景観を築き上げて参りました。国立の大学通りの景観は、市民自治の象徴として、市民の誇りとしてきたものです。
国立市民の運動が再び燃え上がったのは、1993年の 国立駅周辺の高層ビル建設計画でした。市民は最初の景観裁判を起こし、「都市景観形成条例制定」の直接請求運動を展開した結果として、国立市長に上原を誕生させました。1999年に初めて市長に当選した時の私の公約は「市民自治の復権」であり、その象徴である「景観保護」が市民が私に託したことでした。
就任直後に起こった明和マンション建設計画に対し、「高層マンション建設見直しの陳情」5万人、「地区計画の早期建築条例化を求める要望」7万人、「知事へ違法部分の取り壊し命令を出すようにとの要望」11万人という三度に渡る膨大な署名が市・市議会に寄せられました。国立市史上始まって以来の大きな市民の意志でした。中でも、大学通りの並木の高さ20メートルを超えないとする地区計画を、地権者の82%の人々が地区計画案まで作成して市に対して要請したことは、自ら土地利用権を制限しようと言うことであり、本来あるべきボトムアップのまちづくりとして重要な意味を持っていました。地権者・市民の声を受けて、国立市議会、景観審議会、国立都市計画審議会等の公的機関での意志も明確でした。これは、まさに国立市民総意と言えるものです。こうした市民の意志に基づいて行動するのが首長の使命であり、むしろ行動なきは不作為として責任を問われるべきことです。
憲法第92条にいう地方自治の本旨に従い住民の意志を反映した行政実現のために全力投球した市長個人が、求償という形で責任を負うことは、国立市民の長い市民自治の闘いをも否定するに等しいものです。
本件裁判では、まさに地方主権の時代を逆行させない、地方で頑張る首長や市民に希望をもたらす判断をされることを希望してやみません。
以 上








(技術)